語れ私。

2008年5月2日 趣味
映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲

子供映画も良いものだ、と私が語る。
身勝手に語るので、それ違うんじゃね?
等の批判はご遠慮願います。



平成生まれの私が、懐かしき昭和を思い出す。
ウチの家もそうだったが、父親母親の世代の人達はこの映画を観て
共感出来る部分が多くあるのだろう。
大阪万博…パッケージの写真にある太陽の塔を見る限り
やはり戦後、日本が高度経済成長を伴ったイベントとして重大的に扱われているのだなぁ…と、話が別の方向にずれましたね。

先ず物語の主旨を見てみよう、『昭和』と言う今作のキーワードによって『オトナ』と『コドモ』が二分される。
それにより大人達は過去に捕らわれて子供達と敵対する側となってしまう。
子供達は自らの未来のために前へ進む、大人達は自らを過去へ誘い、後ろへ戻ってゆく。
ここでは『未来へ生きる子供』と『過去へ生きる大人』と対比可能なことが分かる。
物語を流動させる大まかな『役』を正負に二分することで、スト−リー全体のメッセージ性が視聴者に伝わり易くなるのだ。
敢えて今は『物語のメッセージ』には触れずに先へ進もう。

物語の重要性を語る一シーンに、父親ひろしの回想シーンがある。
そこでは、幼少期に父親の大きな背中に身を預けることから始まり、入学、恋愛、失恋、上京…と繋がり
それはごく有り触れた一般男性の人生を代弁していることが分かる。
有り触れているからこそ、ひろしの人生に我々は自らの人生を重ねることが出来るのだ。
仕事、家族…と行き着き、回想シーンは終わる。
過去があるから、今が存在する。
今までの行いは全て無駄ではなかった、今、この時、この幸せを掴むためにあったんだ。
今を認識させる為に、『臭い靴』を嗅がせたのは好印象。
『過去』に対し、『今』が介入した瞬間であった。
ここら辺は監督&脚本に感心した。

過去に捕らわれず、前へ進もうという真理が大きく表されているのが、やはり主人公しんのすけの階段を駆け上るシーン。
タワー頂上を目指し、階段を駆け上り続けるその小さな身体には一体どんな想いがあったのか。
何を背負っていたのか。
幾度となく転び、疲れてフラフラになっても頑張り続ける。
そのシーンはまるで人の人生を表しているようだった。
タワーの頂上を『未来』に置き換えた場合、しんちゃんたちの行動全てに意味があるのだと感じた。
私自身、この作品の『メッセージ性』はこのシーンにあったのだと思う。


「這えば立て 立てば歩めの 親心」



親はいつも子供を想っている。
ラストシーン、しんちゃんの「おかえり父ちゃん、母ちゃん!」という言葉に物語全ての意味が凝縮されていると感じた。







暇だったんだもん

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