違わないことに由る。
2007年11月1日 日常一括りに『面白い』や『美味しい』と言うのは容易い。
だが本気で先方が評価を望んでいるのに対して上記の言葉を呈されても非常に困る。
人によって幅があるんだ、感覚が違えば勿論感じ方も違うのは分かるんだけど。
当人のボキャブラリーの問題なのかもしれない。
それでもあまり漠然とし過ぎる評価は嫌だ。
何故このような話になったかと言えば、今日のとある授業でのレポートを発表した後の出来事に遡るわけだが
やはり原稿を上げる際には一二度の復唱というのが大事で、書き上げた内容をそのまま口頭で発表するには味気無いし、何より面白みがない。
そこでアレンジを加えるのだ(色を加える)
発表においては聞き手を惹きつける口調が重要だと教えられた私は敢えて凝った調子で発表を進める事にする。
内容が薄くても聞き手の印象に残るからだ、これが発表する側にとって良し悪し別にして重要なことだと私は思う。
だがあくまでも『発表』、限られた時間内に調べた内容を淡々と話すもの、決してプレゼンテーションではない。
プレゼンテーションでは自身の思いを可能な限り、搾り出して述べる事が出来る。
だが『発表』にそんな時間はない。
あくまで当人の力量次第だろう。
そう、聞き手の評価も発表者の『力量』を量って下せばいい。
今回の発表で「とても良かったよ」との意見を聞いた。
これは嬉しい。
なのに或る人が言った「態度が悪い」
発表中の態度が発表の内容に如何なる干渉があろうか。
何時かの日記にも書いた『私は態度だけで人を判断することは大嫌いである』と。
本質はそこにあるのか?
私が聞き手に撒いた情報はレポートの内容と態度であったのか?
発表にも個々のスタイルがある、そこに基盤はあろうとも確立したルールはないだろう。
私は聞き手に己の調べた内容を自分の表現方法で皆に話した、皆の知識が富むように。
態度を見せに来たのではない。
元より態度が悪いとすればそれは中身のない内容を恥じもせずに発表の場でポツポツと呟いている者だろう。
ここまであからさまに笑える話は久しぶりだ。
でもただの愚痴
だが本気で先方が評価を望んでいるのに対して上記の言葉を呈されても非常に困る。
人によって幅があるんだ、感覚が違えば勿論感じ方も違うのは分かるんだけど。
当人のボキャブラリーの問題なのかもしれない。
それでもあまり漠然とし過ぎる評価は嫌だ。
何故このような話になったかと言えば、今日のとある授業でのレポートを発表した後の出来事に遡るわけだが
やはり原稿を上げる際には一二度の復唱というのが大事で、書き上げた内容をそのまま口頭で発表するには味気無いし、何より面白みがない。
そこでアレンジを加えるのだ(色を加える)
発表においては聞き手を惹きつける口調が重要だと教えられた私は敢えて凝った調子で発表を進める事にする。
内容が薄くても聞き手の印象に残るからだ、これが発表する側にとって良し悪し別にして重要なことだと私は思う。
だがあくまでも『発表』、限られた時間内に調べた内容を淡々と話すもの、決してプレゼンテーションではない。
プレゼンテーションでは自身の思いを可能な限り、搾り出して述べる事が出来る。
だが『発表』にそんな時間はない。
あくまで当人の力量次第だろう。
そう、聞き手の評価も発表者の『力量』を量って下せばいい。
今回の発表で「とても良かったよ」との意見を聞いた。
これは嬉しい。
なのに或る人が言った「態度が悪い」
発表中の態度が発表の内容に如何なる干渉があろうか。
何時かの日記にも書いた『私は態度だけで人を判断することは大嫌いである』と。
本質はそこにあるのか?
私が聞き手に撒いた情報はレポートの内容と態度であったのか?
発表にも個々のスタイルがある、そこに基盤はあろうとも確立したルールはないだろう。
私は聞き手に己の調べた内容を自分の表現方法で皆に話した、皆の知識が富むように。
態度を見せに来たのではない。
元より態度が悪いとすればそれは中身のない内容を恥じもせずに発表の場でポツポツと呟いている者だろう。
ここまであからさまに笑える話は久しぶりだ。
でもただの愚痴
コメント