場の空気とは?

ここで書く内容について、『場の空気が読めない』であるが、2通りの解釈がある。

1、他人とのコミュニケーションの中で、周囲の意志に反する言動。
2、その場の雰囲気、周りを見ずに我が道を行く。

今回述べるのは2について。

〜やっぱり学校(高校生)なんだし〜

学校という社会性を育む環境、集団生活を送ることにより身につく自主性、コミュニケーション能力、自律する為の一歩手前の段階、自己責任の認識。
挙げるだけ挙げてみた。
俗に言う『一匹狼』のようなタイプではない限り大抵の人は集団生活の中で周りに合わせるというスタンスを持つ。
クラスメイトが教室を移動すればそれに伴い自分も移動、皆が黙って集中していれば自ずと集中出来る。
良い意味で言えば『雰囲気という名のパワーソース(適応力)』
悪い意味では『赤信号、皆で渡れば怖くない』
私は学校という集団生活の場では周りに合わせて生活するのがベストだと感じる。
何もただ、周りに合わせるだけではない。
分からない内は誰だって人を見て真似る、そうすれば自然と「この時はこうする」、「この場合はこう対処する」等と自己判断の能力が身につくのではないだろうか。
授業中は静かに、であったら周りに合わせて自分も黙る。
それが正しい事と認識し、常識化していく。
授業中は五月蝿いならば、周りに合わせて五月蝿くする。
それが常識化してしまう。
誰かが拍手をすればそこから音が広がるように、やはり場の空気ってもんが私達の常識度を左右しているんじゃないかな。

場の空気の読める人は、よく周りを見ている。
その時、周囲の人達がどう行動しているかを、だ。
一匹狼スタイルの人は『自分で何とか出来る』と思って敢えて周りを見ない、常に自分ペース、流れの主導権は己だ。
更に問題となっている『空気の読めない人』
周りを見ている人、敢えて見ようとしない人、と居る中でこのタイプは周りが見えない人達であると思う。
見えないからこそ、どうすればいいのか分からないのだ。

最近、この『空気の読めない』友人に出会った。
彼に幾ら説教を説いても聞き入れようとしない。
自分は正しいことをしていると思い込んでいるのか。
分からない事が当然となっているのか。
少なくとも、学校という場、集団に属している以上は
場の空気を読んで、状況に応じた言動を取って欲しいと感じる。
それが嫌なら仕方がない、我が道を行きたいなら学校なんて枷に縛られているなんて勿体無いじゃないか、是非自主退学を勧めるよ。
その制服に袖を通したなら覚悟と責任が付き纏う、嫌なら辞めろ、他人の迷惑。






反抗するのがかっこいいなら、世の中犯罪者だらけだよ

コメント

サファイア
2007年9月27日23:34

ファンとアンチ。

ABはどっちも持ってるよなぁぁ(笑)

Anubisγ
Anubisγ
2007年9月29日1:53

見える分には申し分ないんですケド…
内なるモノだからこそ、見え辛いんです、こう…焦点が合わない…

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